2012年5月7日月曜日

自己紹介・闘病履歴。「うつ病」と闘う人へ - 気楽に行こう。


自己紹介・闘病履歴。「うつ病」と闘う人へ

現在、私も闘病中です。
そんなに酷くは無いのかもしれないです。
それでも、やはりしんどいです。
随分楽にはなったけれど。
まだまだ人間が出来てません。

2008年6/18~現在処方量   投薬履歴 2003~2005年、2006年~現在
 通院医療費公費負担制度(32条)の申請が降りて、診察料と薬代が減って助かった。
 (広島市に引っ越してきたら、診察料も薬代もタダになった。素晴らしい♪)

 自殺・自傷願望が強くなったため、一時期、薬が一気に増えた。
 入院を2/4に勧められるものの、ゴネて却下。
 徐々に回復してきて、3~4時間の労働を許可された。ただいま求職中。
 だが、まだ長時間・毎日の労働はダメだと言われている。

 抗うつ剤にアモキサン、ノリトレンなどをしばらく飲んでいたが、
 アナフラニールに変更。これとは相性がいいようで、かなり長い付き合い。
 レスリンを減らしたところ、動けなくなって、リーマスも追加することに。
 マイスリーでは夜眠りにくく、早朝3時に目が覚めるため、ロヒプノールに変更。
 遠くを見た時の焦点のぼやけ、立ちくらみは副作用らしい。
 手足と顔面の震えはストレスかららしいが、薬の副作用と思ってていいと言われる。
 頓服に、ソラナックスからセパゾンに変更。
 便秘が酷いため、便軟化作用のあるマグミットで調節中。
 胃が痛くて、アシノンをずっと飲んでいたが効きめを感じないため、ガスターに変更。
 セルベックスの後発薬(ジェネリック医薬品)のセループに変更。
 ロヒプノールの後発薬、フルニトラゼパムに変更。
 リーマスの後発薬、炭酸リチウム錠「ヨシトミ」に変更。
 炭酸リチウムを減薬しようとするも、躁鬱の激しさから断念。
 アナフラニールの減薬をする方向に。
 ダルさが続くため、チラージンから他の甲状腺薬に移行、ジプレキサ追加。

2009年5/27~現在処方量  昼間の眠気とダルさ対策にアナフラニールと炭酸薬増量、セパゾン減量、ジヒデルゴットからメトリジンに変更。
アナフラニール25mg 3錠/朝夕食後 ………………抗うつ薬[第1世代の三環系抗うつ薬]
炭酸リチウム錠「ヨシトミ」200mg 1錠/朝夕食後…抗うつ薬?(抗躁薬)[炭酸リチウム]
セパゾン1mg 1錠/朝夕食後………………抗不安薬[ベンゾジアゼピン系・作用/時間:強/長
・緩和精神安定剤(マイナートランキライザー)]
ガスターD錠20mg 1錠/夕食後・就寝前 ……胃薬
セループ50mg 1錠/毎食後…………………胃薬
メトリジン2mg 1錠/朝夕食後 …………血管収縮剤。立ちくらみ予防。
プルゼニド12mg 4錠/就寝前………………下剤
マグミット330mg 1錠/朝夕食後 …………制酸・緩下剤
レスリン50mg 1錠/就寝前…………………抗うつ薬[塩酸トラゾドン]
フルニトラゼパム錠「アメル」1mg 0.5錠/就寝前 …………睡眠導入剤[ベンゾジアゼピン系・持続時間中間型]

現在の掛かっている先生は4人目。
その先生に言われました。
「うつ病は、心の風邪なんかじゃありません。
 脳の機能が低下するという、病気です。
 自力で治すのは無理です。
 ホルモンバランスを自分でコントロールしようとしても出来ないのと同じです。
 薬を飲んでゆっくりすれば、ちゃんとなおる病気です。」
4人目にして初めて、『うつ病とは何か』について説明を受けた。
医者は選びましょう。
つくづく、そう思いました。

薬も色々あります。
自分で飲んでいる薬は、副作用を把握するためにも、きちんと知っておきましょう。

薬はここ↓で調べられます。
お薬110番:丁寧で分かりやすく、検索しやすい。
医薬品情報データベース:薬品添付文書が丸ごとPDFで見られる。組成や劇薬指定などまで書いてある。


私の、うつ病と診断されるまでの自覚症状や気分、
そして闘病生活を記します。
どうか、自分を責めないで下さい…。


始めの頃は単なる不眠、体のダルさ、眩暈、焦点が合わなくなる、立ちくらみ。
そんな身体症状が出てきたくらいだった。
そうして過ごしていたある日、私は、自分にとって許しがたい『悪』を犯してしまった。
私の中の『善』『正義感』『義務感』、そして妙な『プライド』。
その全てが拒否反応を示した。
それは、仕事の上では「正しい事」で、サラリーマンとしては「せざるを得ないこと」だったが、
私の『心』が猛烈に否定していた。
その時点で「仕事を辞めたい。」と自然と思うようになっていった。

そうしてもう一つ、悩みが生まれた。
「仕事を辞めたい」ということは、"好きな人と離れる"という事だった。
同じ職場に居たのだ。
「仕事を辞めたい。もうこの仕事は出来ない。辞めれば好きな人と離れてしまう。」
「好きな人と離れたくない。でもこれ以上、この仕事を続けられるのか?無理だ。」
板ばさみというのは、ああいう状況だろう。
そして、多分、そこで、私の何かを繋ぎ止めていた糸が、音を立てて、切れた。


減量バーム

私は毎日のように、集中力の低下と、憂鬱さ、無力感、追い詰められた気分を味わった。
「私は一体、どうすればいい?」「出口は何処にある?」
自分に問いかける日々。
出口など無い、全てが暗闇で、重い何かに満ち満ちた、トンネルの中に居るようだった。
何度も体調を崩して倒れたり、痙攣を起こしたり、あまりの体の重さにしばらく動けない事も。
焦点が合わなくなり、自分で動くことすら出来ず、会社の同僚に家まで送ってもらった日もあった。
上司に言われるまま、会社を早退して病院に行っても、何処にも異常は無かった。
内科でも、神経内科でも異常無し。
血液検査、脳波、心電図等を見れば、私にもそれはすぐに分かった。
「どこからどう見ても健康そのもの」な検査データだった。

体のダルさは続いた。理由の無いしんどさも。
返事をする事さえ億劫で、それでも毎日しなければならない仕事をこなすのに必死だった。
平気な顔をするだけで、油汗が滲むような、寒気に襲われるような吐き気がした。
それでも、平気な顔をしようと努力し続けた。
いっぱいいっぱいだった。
私は、独りで、少しでも他人に迷惑をかけないことに必死だった。
『まだ大丈夫。あれもしなきゃ。これも。迷惑にならないように』
そんな私に、「全てを抱え込むな。他人に振れる仕事は、任せてしまえ。」
上司はそう言ってくれた。

いつの間にか、「死にたい」という思いが、自分の心に巣食っていた。
会社に居る間は、忙しさと理性で押さえ込んでいたけれど、独りになるとそれは強くなった。
会社の帰り道、ガードレールの無い崖に突っ込もうとして、
突っ込んだ瞬間、我にかえって、すぐブレーキを踏んだ。
気が付くと、家で、手首を仰向けて台所のシンクに置き、包丁を上から落としていた。
手首からは外れて、そのすぐ横で包丁が音を立てたのを聞いて、我に返った。
そんな、誰にも言えない、気の狂いそうな日々がしばらく続いた。
なんとなく、もう、ある病名は浮かんでいた。でもそれを打ち消していた。
私は医療従事者だった。
そのせいかどうかは分からないけれど、
自分を「病気」だと認めたくなかった。
変なプライドがそれを妨げていた。

体調が悪くても仕事を続け、平気な顔を頑張ってして、無理に笑顔を作って、
「きっと寝不足だからだよ」と繰り返す、青い顔をした私に、
「じゃあ不眠症だけでも治して来い!しんどい時は帰れ。
 しんどいのを見ているのも、結構辛いんだぞ?」
いつもあまり感情を見せない同僚が、珍しく見せた、本当に辛そうな表情と眼。
心にその表情と言葉が突き刺さり、その言葉のあまりの優しさに泣けた。
「不眠症を治す」という名目で、観念して行った心療内科で、
『うつ病』と診断された。…予想通りに。
そして、治療が始まった。


病気についての説明は、その医師から受けることは無かった。
薬だけが処方された。
一番最初の処方量は、
ドグマチール50mg 1錠/毎食後……向精神薬[スルピリド]
ワイパックス50mg 1錠/毎食後……抗不安薬[ベンゾジアゼピン系・作用/時間:強/中]
デジレル25mg 1錠/就寝前…………抗うつ薬[塩酸トラゾドン]
マイスリー10mg 1錠/就寝前………睡眠導入剤[酒石酸ゾルピデム・超短時間型]

喉が渇いたが、医師に訴えると、「効いている証拠です」と言われた。
ドグマチールが合っていたらしい。
少しづつ気分の落ち込みの度合いが減っていく。

私は、「憂鬱になる原因を取り除けば、きっと治るはず」と考えた。
そして、行動に移した。
まず、好きな人に全てをぶつけた。
「仕事を辞めたい。けれど、仕事を辞めれば貴方との繋がりが無くなる。
 それが怖い。だから辞められない。」
一生懸命伝えようとしても、なかなか上手く言葉にまとめられない。
それを相手は、何時間もかけて、根気良く聞き続けてくれて、受け止めてくれた。
「嫌いじゃないが、好きでもない。でも電話ぐらい、いつでもすればいい。」
そう言ってもらった時、私は肩の荷が下りたように、泣いた。

その数日後、私はすっぱりと退職を決めた。
最後だけでも、迷惑にならないようにと、必死で引き継ぐ為の書類を作る私に、
「もう、辞める会社の為に、そこまでしなくていいんだよ」
「ここで壊れていくのはもったいない。ゆっくりしろよ」
上司や周りの皆が言ってくれた。
とても優しかった。
私の勝手で辞めて迷惑をかけるのに。最後ぐらい、こき使ってくれればいいのに。
そう思っても、それを口にしても、皆は首を振るばかり。
「頑張りすぎだ。もう休めばいいんだ。心配するな。」
出勤日最後の日まで、泣きたいほどの優しさは続いた。
私の中にそれは積もっていって、少しずつ回復に向かっていった。


仕事面でも問題を少し解決し、だいぶ回復したな、と自分で思った頃、転職を決めた。
とても遠く、新幹線等で6時間以上かかる所へだった。
退職してしばらくはゆっくりするつもりだったが、
すぐに就職が決まってしまって、退職日の次の日にはもう働きに出ていた。
「自分で自分ぐらい食べさせていかなきゃ。」その思いだけが私を動かした。
知り合いも一人も居ない、見知らぬ土地。
最初に掛かった医師からは「引っ越してすぐに予防のために精神科に行く事」と言われていた。
『予防』の意味がわからないままに、医師から言われた通りに精神科に掛かった。


咳止めシロップからコデインを抽出する方法

1ヶ月が経った頃。
理由も無い不安感、焦燥感と体のダルさ。不眠。
徐々に強くなっていった。
…どうして以前は出来た事が早く出来ない?
自分がただ弱いだけなんじゃないか、怠けてるだけなんじゃないのか、
そんな苛立ちのような思いが強かった。
薬を貰いながら、日々自分に負けないように祈るように抑え続けた。
限界を感じはじめた私は、精神科の医師に、その気持ちを訴えた。
医師は「薬を絶やさないようにして、頑張るしかないね。」
私は、崖の淵に立たされたような気がした。
頑張ってるつもりだけど、まだ、まだ足りないのか…。

ただ、薬の処方が少し変わった。
2003年10/4
ルボックス25mg 1錠/毎食後………抗うつ薬[第3世代・選択的セロトニン再取込阻害薬(SSRI)]
ワイパックス50mg 1錠/毎食後……抗不安薬[ベンゾジアゼピン系・作用/時間:強/中]
デジレル25mg 1錠/就寝前…………抗うつ薬[塩酸トラゾドン]
フルニトラゼパム1mg「アメル」 1錠/就寝前……睡眠導入剤[ベンゾジアゼピン系・持続時間中間型]

そこで過ごした後半の日々、私は毎日毎日、自殺することばかりを考えていた。
寝ても醒めても、生きる意味が分からなくて、迷路みたいで、他に考える事がどんどん出来なくなっていって。
死にたい、死にたい、どうして生きなきゃいけないの?
眠ることすら出来ない、苦しい、この失望感、絶望からどうやって抜け出せばいい?
気持ちがどんどん堕ちていく、この圧迫されるような苦しさから逃れるのに、死ぬ以外にどんな方法があるっていうの?
生きてるだけで周りに迷惑をかけてるだけじゃない、どうして私、生きてるの?
誰か助けて、堕ちていく、気が狂う…苦しい、狂う前に死なせて…。

気が付けば、『どうすれば確実に、楽に、そして他人に迷惑をかけずに死ねるか』を考えるようになっていた。
医療現場は格好の死ねる道具が揃い過ぎていて、幾らでも死に方が想像出来た。
注射器、メス、薬、高い建物、そして目の前には海…。
どうやって死のう?どうすれば一番楽に死ねる?迷惑をかけずに死んでいける?
真夜中の海に飛び込んで?病院の屋上から飛び降りて?
メスか注射針で頚動脈を切って?劇薬を注射して?
自殺の衝動を抑えることに全ての理性を費やしていた。

家だろうが、仕事場だろうが、所構わず、時間は遅く流れ、
ずーっと頭から、『死にたい』って気持ちと言葉が消えなくなっていった。
死ぬことはとても甘く思えて、生きる事が苦痛で堪らなかった。
これが今日も明日も明後日も続くんだと思うと、うんざりして、ますます死にたくなっていった。

あまりのしんどさに、自分の勤める医療機関の医師に掛かった。3人目の医師だ。
様子を聞いた医師は、
「このままだと、強制的に入院させる事になります。嫌でしょう?
 それが嫌なら、即刻仕事を辞めて、実家に帰ってゆっくり静養してください。」
と告げ、その場で私の実家に電話をした。
留守電になっていたけれど、家に帰る前に、約束をさせられた。
「帰ることを前提にしてるから、薬は出しません。
 実家に帰ってからゆっくり静養しながら、きちんと治療を受けてください。
 必ず、親に電話をするんですよ。あと、死なないこと。
 約束してください。絶対ですよ。」
私は自宅に帰って、泣きじゃくった。
あまりの自分の無力さと不甲斐なさ、無念さに…。

実家にはその日、電話をかけられなかった。
好きな人に、いつも相談をしていたから、電話をした。
なかなかつながらない受話器を抱えて、泣いて、悩んで、のた打ち回った。
真夜中に、着信を見た相手から、電話がかかってきて、全てを打ち明けた。
数時間、話し続けた。
医師に言われた事も、心の中の全ても。
「私が弱いからいけないんだ。もっと頑張らなきゃいけないのに、出来ない…。
 生きるのが辛い。どうして生きなければならない?
 他の人に迷惑をかけてまで。どうして死んじゃいけないの?
 実家に帰れば、親に迷惑をかけてしまう…どうして死んじゃいけないの?」
そんな叫びに、わかりやすく噛み砕いた答えで、説得された。
「普通は生きていることは楽しいよ。
 でも、病気だから、理由も無く辛いんだろう。
 君は病気だ。まずそれを認めろ。
 風邪をひいたら、薬を飲んで、暖かくして寝る。
 それが治療だ。
 風邪を引きました、それは私が弱いからです、滝に打たれて修行しましょう。
 …悪化するっちゅーねん!!
 君が今していることはそれだ。
 病気を治せ。全てはそれからだ。
 病気が治れば、辛さもなくなる。
 まだまだ、していない事、楽しい事はたくさんあるんだ。

 薬を出して放っておくってのが、一番医者としては儲かるんだ。
 良かったな、良い医者に巡り会えて。
 実家に帰れ。親に電話しろ。いいな?」
そして、私は、自分が病気なんだ、とやっと受け入れて、ちゃんと治すことにした。
仕事を辞め、実家に帰って療養することにした。


実家でのうつ病治療が始まった。
4人目の医師に当たる。
小さい医院だが、最初にカウンセラーとじっくり話してから、診察に移った。
私は後日知ったが、精神科医としては、かなり有名な医師らしい。
やわらかな物腰の先生で、じっくり、ゆっくり、やわらかく微笑みながら聴いてくれる。
薬の処方が、気分の浮き沈みや体調、睡眠状態によって、細かく変わるようになった。


"卵巣癌"と痛みと "胆嚢"

私が片頭痛持ちだという事も判明。
そこで、イミグラン錠50を処方された。この薬は値段も高いが、効果も高い。

  投薬履歴


うつ病の病状は、本当に一進一退です。
私の周りの人は、皆優しい。
前の会社の人からは、電話やメールで今でも声をかけられる。
実際に会って話すこともある。
送別会だの、結婚祝賀会だのある度に呼んでくれる。
その中で、私がうつ病だと知っている人は、本当に仲の良い人だけ。
なのに、知らない人も、誰一人として、「頑張れ」という言葉で私を励まさない。
「頑張らなくていいんだよ。今までが頑張りすぎ。」
「ゆっくりしなよ。」
「楽しい、と思えることをしろ。我慢をするな。無理するな。」
そして、私は泣きたくなる。

「死ぬな」「生きてくれ」と言われる。
「友達甲斐がないな。君が居なくなったら、私がどれだけ泣くか考えてくれ。」
数人の友人に言われた。
私は果報者だと思った。
「生きること」を約束させられた。
死は、とても魅惑的だ。
楽になれる、一番簡単な方法だ。
今も、生きる事が楽しいとまでは、まだ思えない。
だが、時々、楽しい、嬉しいと思える瞬間が出来てきた。
それだけでも、随分良くなったと、自分で思う。


自傷行為というのは、死ねない。
医療従事者だったから、よく分かっている。
手首や腕、脚、首ぐらい、カッターやハサミ、包丁で切ったぐらいじゃ死ねやしない。

医療現場に居たから、もっと良く切れる代物を知っている。
何処をどうすれば死ねるのかも。
自傷行為は、『死ねないが、こんな価値の無い自分を痛めつけられる行為』。
約束は破れない。だから、死ねない。
そんな時に、発作的に自傷行為をしたくなる。
私の場合は、好きな人に「せっかく綺麗なんだから、傷つけるなよ。」
と言われた事が歯止めになっている。

自分を突き刺したくなった頃、自分でピアッサーを使ってピアス穴を開けた。
自傷行為の代わりだったのかもしれない。
実際、開けた時に、結構スッキリしたから。
でも今は、それなりに気に入っている。
ピアスを開ける事に散々反対していた親も、何も言わなくなった。


うつ病の苦しさを他の人に説明するのは、とても難しい。
単純に、私の語学力・表現力の無さが要因かもしれないけれど。

理由も無くこみ上げてくる不安感、無力感、孤独感。
水から上げられた魚みたいに、息苦しい圧迫感。
胸を掻きむしられるような焦燥感。
気が狂うんじゃないかとも思えるような脅迫感。
そして、これの苦しみがいつまでも続くのだという絶望感。
全てにフィルターがかかったような世界。

自分ではないような、他人事のような浮遊感?心許なさ。
それなのに何故か、突き刺さるように感じる言葉達。
始めは理由もなく泣きたくなってたのに、だんだん泣くことさえ出来なくなる自分。
他人が辛いのをみるのが辛い。苦しそうなのを見るのが辛い。
迷惑をかけることが辛い。
生きていていいのかと悩んで辛い。
辛いと言うと迷惑なんじゃないかと、つい我慢してしまって、また辛くなる。
平気な顔をするのがしんどい。

でも、勇気を出して、これを元気な人に言っても、なかなか分かってもらえない。
それがまた辛い。
そしてそれが、苦痛となって襲ってくる。体にも、心にも。

もちろん、人によって辛さも様々なんだろう。
私の場合を挙げただけだから。
きっと、貴方の方が辛いんだろう。

テレビも本も、興味が無くなる。
好きだった事にも、興味が無くなる。
楽しいと感じていた事が、楽しく感じられなくなる。
他人への関心も薄くなる。
生きることの苦しみ、死ぬことだけ考える日々。
興味といえば、どうやったら、この苦しみから抜け出せるのかということばかり。
少なくとも、私はそうだった。



--追記--
2004.7.22 深夜(早朝)未明 OD。

その前の週に、実の祖父のように可愛がってくれていた人が倒れ、意識不明となった。
救急車にて搬送され、病院で意識を取り戻し、その後退院。
けれども、『いつまた同じ事になるか分からない、今度は死んでしまうかも』という恐怖から、
夜中に一人でのたうち回る。
今年2月、祖母が亡くなった。
その時のことがフィードバックのように襲いかかってきたのだと思う。
そのうちに急激に死ぬ事だけを考え始めていた。
はっきりした記憶があるのはここまで。


この後は記憶が曖昧で、途切れ途切れになっている。
意識がはっきりしてきた翌日(7/23)に確認してみると、メールを好きな人に打っていたらしい。
メールを打った気はするが、内容は覚えていなかった。
これがその内容。
 「ごめん。眠れないから打ってる。
  また近いうちに大事な人を亡くすかもしれません。
  怖くて、辛くて、苦しくて、泣き出したら止まらない。
  …呆れた?進歩してないって。
  それでまた、すごく○○さんの声を聞きたくなるのって、現実逃避なのかな…?」
その後、包丁を暗闇で探していた気がする。
一度持って首に当てたのかな?でも、血だらけにしちゃダメだ、とか考えていた気がする。
そして、気が付くと、薬を飲むところだった。
片手に半分ぐらい。
その時に飲んだ薬の内容は全く覚えていない。
それでも「足りない」って思って、今までに残った薬を全て引っ張り出してきたのは覚えてる。
後で見ると、ゴミ箱に袋や薬の包装の残骸が残っていたので、多分飲んだんだろうな。
ゴミ箱を調べてみる限り、
デジレル、ワイパックス、ノリトレン、マイスリー、レンドルミン、
フルニトラゼパム「アメル」、ロヒプノール、etc...
ドグマチールや他にもあると思うんだけど、袋にまとめて薬局で入れられたのもあって不明。
片手にいっぱいぐらい山になったのを、ザラザラと飲んだ記憶はある。
どのくらいなんだろうか…?
ゴミ箱の中に、いつも飲んでいるのと混ざっていて、どのくらいなのかサッパリ。
記憶にないが、飲んでからなのか飲む前なのか、また好きな人にメールを打っていた。
あと、そのついでに掲示板に書き込みをしていたらしい。
メールの内容は、
 「声が聞きたかったな。
  バイバイ。
  明日目が覚めたら、またね。ありがと。さよなら。」
飲む前にせよ後にせよ、死ぬ気では居たみたいだ。
普段、私はメールや手紙には絶対に、「バイバイ」「さよなら」という言葉を使わない。
また会いたい時には、「またね」と言うし、書く。
「さよなら」という言葉は、もう二度と会えないだろうという時だけに使う。
例えば、お通夜や火葬場で、最期の別れをしようとする時だけ。
この言葉は、私にとっては、死を意味する。

7/22。
親に揺すぶられて、意識浮上。
親が何か喚いていた。
そのうちだんだん聞こえてきた。
「どうしたの?!なかなか起きないから心配したよ!
 薬多く飲みすぎたの?大丈夫?!」
後から聞いた話だが、7/21の夕方から、ひどく顔色が悪かったらしい。
この時にも、顔が土気色だったとか。
様子が変なので、心配したらしい。
ぼーっとしながら、しばらく居たが、
気が付くとPCの前に居て、メールチェックをしていた。
自分でもどうしてなのか分からない。
好きな人からのメールが来ていないか確かめるのが日課だったからか…?
そして、自分のHPの書き込みを見て気付く。
そこには自分が書いたと思しきOD予告みたいなものと、
その後には、よく来てくださる常連さんと、友人の必死な書き込みがあった。
それを見た直後、その書き込みをしてくれていた友人が電話をしてきてくれた。
本当に、とても心配してくれていたようだった。
「大丈夫?!HP見て、すごいびっくりしたんだよ!…」
ぼーっとしながら、「大丈夫、生きてるよ」みたいな事を言った気がする。
…ゴメンね。
電話がかかってきて喋ったことは覚えてるんだが、どんな内容だったかよく覚えてない…。
その日一日、何かぼーっと浮いたり沈んだりしていて、記憶が曖昧。
とにかく、「もう死のうとしません。約束します。」って言って、書いた事だけは覚えてる。

そう。
私はあのまま死ぬつもりだった。確かに。
起きたら、生きていた。そりゃそうだ。
その時に、何かがふっ切れたか、生まれ変わった気がした。
死ぬ気が失せたというか、死なないでと言われたのが嬉しかったのか…。
マヌケなような。…でも本気だったけど。
それで終わり。
生きてます。
もう二度と自殺しようなんてしないって、約束をした。
私は、約束は破れない。
だから、二度としない。
死ぬまでは生きる。


※追記2

…すみません。この後、またODをしてしまいました。
2006.2.18 妹のことでショックを受けて自殺未遂。

自分が要らないんだと思ったのです。
後日、医者に「一歩間違えば死んでる量ですよ。入院しましょう」と言われる。
自分ではケロッとしてたので、ビビりました。
まあ、本当に死ぬ気で飲んでたものの、後で見て、そんなに多いとも思ってませんでした。
これ以来、母に薬を管理されるようになりました。
手元には飲むべき薬と、最低限の頓服薬のみ。
これで安心してくれるなら、それでもいいと思っています。


私の場合は、最後まで執着・興味が残っていてくれたのは、
好きな人への想いと、音楽でした。
好きな人と居ると、幸せに思えた。
生きる事が辛い、そう思っていたはずなのに、
その人と居る間、声を聞く間、確かに幸せを感じる。不思議でした。

そして、音楽。
興味が全くなくなるスレスレの所で回復してきたようで、一番初めに、興味が戻ってきた。
聴く。歌う。そして泣く。
泣くことすら出来なくなっていた私に、涙を取り戻させてくれたのが、音楽でした…。


何曲か、『こんな時にはこんな曲』で、つらいときに聴いた曲を挙げています。
一番苦しい時に、生へ導いてくれた曲。

ちょっとでも興味がある方は、聴いてみてください。
どうか、それが貴方の支えになりますように…。

聴いて欲しくない曲も書いておきます。
これらは、元気になってから、聴いてくださいね。
今はまだ、痛いはずですから…。
うつ病患者・禁忌曲



うつ病 心の質疑応答集


気楽に行こう



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